「できた……」 新作の陶芸作品を頭上に掲げ、私はその形状をくまなく眺めた。 妻から渡された素描をもとに作り上げたそれは、察するに、南瓜……のようである。 近頃、お客様からの依頼でも、「南瓜の形の器を作ってほしい」と頼まれることが多く、 しかもそれには、目や口を描いてほしいというので、 時代の移り変わりというか、人の好みの変わり様に、私は思いを馳せていた。 「最近はこういうのが流行りなんですねぇ……」 とにもかくにも、依頼のものが……それも、めずらしく妻からお願いされたものができあがったとあって、 私は自然、浮足立つような気持ちを抱えながら、陶芸小屋を出た。 紅葉が赤く太陽の光を透かし、連なる。小路のその向こうに見える和風の屋敷が、本宅だ。 白玉石を敷き詰めた庭に、縁側が面している。 開け放したそこから家へ上がろうとして、奥の方から人の声がするのに気づいた。 女性と男性の声……おそらく、と依平が話しているのだと、私は察した。 は私の妻であり、依平は、陶芸家である私の一番弟子だ。 今年の春、結婚したばかりの私とは、いわゆる政略結婚で結ばれたので、 歯がゆい新婚生活を送ることになってしまった。 私はずいぶん彼女の気持ちを穿って、一時は依平と彼女の仲を誤解しかけたこともあった。 けれど、今となってはそれらは笑い話である。 を愛する。も私を愛してくれている。 私たちがこの境地に至るまでには、それはもう乗り越えなければいけない壁がいくつもあったけれど、 一度繋いだ手がそう容易く外れることはない。 だから、が依平と話をしていても、以前より私は穏やかだった。 といっても、と依平は、たまに互いにしかわからない暗号のような言葉を使いながらしゃべるので、 私はそのような時には、一抹の寂しさを感じてしまう。 おそらく、今もそうだ。 「明日、ハロウィンでしょう? と一緒に、遊園地に行こうって言ってるんです。 ハロウィンの装飾が凝ってて可愛いんですよ。昨日テレビのバラエティーで特集していて……」 「遊園地ですか!? 先生、オッケーしたんですか?」 「是非行きましょう、って言ってくれたんですよ……!」 「あー、それで先生、明日はお休みって言ってたんですねぇ。でもあれでしょう、遊園地ってことは、 先生、ジェットコースターなんかにも乗るわけでしょう?」 「もちろんです」 「ハロウィンでジェットコースターですか……。……先生は死んでしまうんじゃないですか?」 「ふふっ。でも意外にって、スピードのあるものが好きなのかなって思うんです。 この間もエフワンの番組を食い入るように見てましたし……」 聞き耳をたてるつもりはなかったけれど、私は障子の影になりながら、出ていく機会を失ってしまった。 あいかわらず二人は、「ばらえてぃ」と「はろうぃん」という暗号で楽しげに会話をしている。 しばらくして、ようやく依平が私に気づいた。 「あっ、先生……!」 「?」 も振り返る。 おずおずと私は二人の前に姿を現した。 「ご、ごめんなさい……盗み聞きするつもりはなかったのですが…… いつ出て行けばいいか……機会を失ってしまいまして……」 気まずく、私は正直に事の顛末を吐露する。 はくすくす笑っているので、私は余計に気恥ずかしさを覚え、硬直してしまった。 「じゃ、お邪魔虫は退散させていただきますね」 依平はそう行って去ってしまった。 後にはと私が残される。 私が何を言い出すのかと見守るように、の瞳は輝き、私を見つめている。 もう、彼女が私の妻であるという事実には慣れたはずなのに。 愛を確かめ合ったはずなのに。 私はいまだに少し、彼女に緊張している。 彼女が愛くるしいせいなのか、私がいつまでも垢抜けた人間になり難いせいなのか、 おそらくはそれら全てが噛み合わさって、恋の領域を、二人の庭のように育てる夫婦になっている。 そして私は、彼女とそういう夫婦になれたことが、幸せだった。 「あなたに頼まれたものが、焼きあがったので……」 背に隠していた南瓜の器を、に見せた。 「わぁ……! 素敵! 可愛いカボチャさんですね!」 「目の形などはこれで良かったのでしょうか? 一応、あなたが描いてくださった絵の通りに仕上げましたが……」 「はい。すごく可愛いです! ありがとうございます、。ごめんなさい、お仕事でもないのに……」 「いえ……頼んでくださると嬉しいです。家族のために作るものは、また一味違いますから」 は微笑む。 私の言葉で彼女が微笑んでくれることを嬉しく思いながら、私はずっと気になっていたことを聞いた。 「ところで……その南瓜の器は、何に使うのですか?」 「ハロウィンなので……。どんぶりに使うのもいいですし、中にお菓子とかロウソクを入れるのもいいですよね」 「あの……依平とも話していましたね……。はろうぃんって……何ですか?」 はろうぃんが……依平やにだけわかる言葉で、私はお呼びでないとしたら……。 二人に限ってそんなことはないと思うけれど、私に隠し事をしているのだとしたら……。 不安に染められていく胸が痛く、私の眉間には自然としわが寄ってしまった。 けれどは後ろ暗いこともなさそうに、微笑んで答える。 「お祭りですよ。外国のお祭り」 「外国の……ですか?」 「日本でいうお盆みたいなものなんです。今はお祭り騒ぎの方が注目されちゃってますけどね。 子供が、『お菓子をくれないとイタズラしちゃうぞ〜』って言いながら、近所の家を回るっていう行事なんですよ」 「なるほど……。でもどうして南瓜が必要なんでしょうね?」 「魔除けのシンボル……あ、ううん、象徴、なんです。 だから家の周りにカボチャを飾ったり、カボチャのお菓子を作ったりするって」 「そうだったんですね……」 良かった……。 私にもわかるようにが言葉を選んでくれること。 依平との秘密でなかったことに安堵して、私はぽつりとつぶやいた。 は耳ざとく、「良かった?」と、不思議そうな顔をしている。 私は焦って、 「いえ! 何でもないです……」 と、彼女の視線を避けた。 私は結婚してからというもの、本当に、のことになると途端に心が張り詰める自分を感じていた。 彼女を追及したり、困らせたいわけではない。彼女の優しさを独り占めしてしまうのも良くないことだ。 けれど、どこまでいっても足りないと思ってしまう。 そして足りないのは、彼女からの愛情ではなかった。私がもっと、彼女を愛したいのだ。 もっともっと彼女を愛することができたら、この胸の不安や寂しさも、吹き飛ばされていく……そんな気がする。 「明日、晴れるといいですね。あなたと遊園地に行くの、楽しみなんです」 「わたしも……。は遊園地って、行ったことありますか?」 「いいえ、初めてで……は?」 「子供の頃に、両親と行ったきりなんです。とだったら、きっと、もっと楽しいですね」 「はい」 微笑んで彼女が私を見つめる。私も微笑みを返す。 はいつも、私の知らない世界の匂いを、どこからともなく連れてきて、私を巻き込んでしまう。 幸せで幸せで、私は時々目がくらみそうになる。 眩しい。 を初めて見た日にも、思ったことだった。 彼女は、眩しい。 その光を受けることのできる場所に、私は立ち、反面、重荷を抱えなければいけなかった。 くらんだ視界の先にあるものを、私はまだ見ていなかった。 光のあるところに影が差すのが道理であるように、幸せに彩られる心のうちに、かすかなすきま風が吹くような……。 不安……。けれど不安という言葉があてはまるようには思えない。 不安よりももっと弱い波動で私の心に鈍痛を与え続けている何か。 その気持ちに私はまだ、名前をつけられないでいた。 |